三十路サラリーマンの夜明け

今年で30歳のサラリーマンです。日々思ったことなど綴っていきたいと思います

[書評]好きなことで起業する を読んで

今日は、

好きなことで起業する

という本の書評を書きたいと思います。

 

この本はこんな人にオススメです。

-いま会社員で、起業を考えている人

-どうやって最初の一歩を踏み出せばいいのかわからない人

-自分の好きなことがわからない人

 

 

この本のポイントは以下の通りです。

-起業の最初の一歩を踏み出す際は、好きなことであり、かつ求められていることを優先。

-得意なことで起業してはいけない。それなら会社でやっていればよい。

-最初の一歩は、在庫持たない、ハコ持たない、スモールビジネスを考えるべき。

-起業の9割は発信力。小さく始めるなら、自分の経験のノウハウを発信して行くこと。

 

感想としては、私自身会社員として若手から中堅になる世代で、起業を考えている身として、得意なことは少しずつ増えてきたかなというふうに思いますが、起業となるとなにから始めていいのかわからないという現状です。

この本を読んで、好きなこと、また希少な経験やノウハウなどを発信することで誰かの役に立つことから始めたいと思いました。

 

ノウハウといっても、自分には多少語れるような経験といったら、たとえば、

 

-大学2年で仮面浪人に失敗

-バイクで大事故し足首が取れかけた

-バックパッカーでアジア探検

-仕事で計2年アジアに駐在

-トライアスロン完走

-アイアンマンレース完走

-環境、エネルギー関連知識多少あり

-ゴルフ、サーフィン、登山など趣味多し

-一ヶ月で7キロ体重落とした経験あり

 

こうした経験から得られたノウハウを、誰かとシェアして少しでも役立ることができたら良いと思います。

この本に書かれているとおり、起業は好きなことや経験をノウハウにし発信することから始まる、という点を実践したいなと思いました。

 

人生100年時代を生きる

最近、人生100年時代という言葉をよく耳にする。

健康寿命の増加より、今後は80代になっても働く高齢者が続出するそう。

いま私は30歳。今後50年働くとすれば、どういうキャリアを築くべきか。

まだ社会に出て5年、あと10倍働かなくてはならない。

そういう人生を、会社に属したまま過ごすか、もしくは自由にビジネスをし、自他共に豊かにできるか。

いま、分岐点にある。

 

人生100年時代を肌で感じたエピソードがある。

私の父は65歳で大手メーカーを退職した。入社以来、エンジニア一本でやってきた。エンジニアであるという自負を持って40年間仕事一筋であり、私自身尊敬もしていた。

退職後、まだまだ頭も体も元気であったため、これまでのキャリアを考え、コンサル会社に転職した。転職活動は簡単にうまくいき、父も自慢げであった。

 

 

ところがどっこい。転職して一ヶ月、はやくも父は会社を辞めたがっている。

理由としては、転職先の仕事にこれまでのエンジニアとしてのキャリアを活かせる場面がないと。飛び込み営業のような若手社員がやるような仕事をやらされていると。

 

私はこのことから、父には悪いが、次のようなことを感じた。

 

-大手メーカーのエンジニアを40年やろうが、雇ってもらった先で力を発揮できる仕事に出会うのは簡単ではないこと

 

-キャリアを一本に絞って仕事を続けるのは危険であること

 

-65歳を過ぎても、転職について悩まなければならないこと

 

 

これらの教訓から導かれるのは、

 

-キャリアを一つに絞らない

 

-普遍的な知識、スキルを身につける

 

-60を過ぎて転職で悩まないよう、早めに起業する

 

 

人生100年時代はもうすぐそこにある。

長いスパンで見たとき、キャリアをどう形成するか、しっかりと考えようと思う。

 

自問自答

やらされてることをやってて、明日死んでもいいのか

やらされなることをやってて、それで生きてるっていうのか

日々つまらん顔して仕事してて、生きてる意味あんのか

役に立ってる実感がなくて、仕事する意味あるのか

なんのために仕事してる

金稼ぐため

一生をそんな風に使っていいのか

仮に明日死んだらどうする

死ぬ間際になに思う

満足して死ねるわけない

あと半年の命ならなにする

会社やめる

人生を意義あることにつかう

意義あることってなんだ

なあなあで日々が過ぎる

それを甘んじて受けいれる

それで60になる

それで後悔はないか

抜け出したい

クビにしてくれればいい

 

確実に人の役に立つことやりたい

不条理を被る人のためになることやりたい

人を助けてるって実感を感じることをしたい

そういうことを仕事にしたい

 

戦争はなぜ起こるかにこう書いてあった

 

学校で勉強をするのは、決して将来贅沢な暮らしをするためでも、金持ちになるためでもない。

貧しく恵まれない人や国を救うためだ

 

そろそろ、そういう生き方にシフトする時期がきている

 

世界有数のアイアンマンレースをたった半年の準備で完走できた理由 その二

練習内容に関して、もう少しご説明したいと思います。

 

私は、アイアンマンレースの準備に当たって、一度も同等の距離をこなしたことはありませんでした。

それどころか、海で1.5キロ以上泳いだこともなく、100キロ以上漕いだこともありませんでした。

 

距離に対する不安はありましたが、一方で、なんとかなるだろうとも思っていました。

 

その自信の出所として大部分を占めるのは、

 

インターバルトレーニングの多用

スクワットの多用

 

に他ならないかなと思います。

 

アイアンマンは準備を始めた半年のうち、仕事でオーストラリアの現場にいました。

 

毎朝4時におき、20時に帰宅する日々を三ヶ月つづけました。

当然、長距離の練習を行う時間もとれず、帰宅したら疲れて寝るの繰り返しでした。

 

そんな状況でも、寝る前に10分あれば、スクワットはできます。

また、休みの日に1時間あれば、みっちりインターバルトレーニングは行えます。

 

そうしたスキマ時間を見つけては、これらのトレーニングに励んでいました。

 

スクワットといっても、私の場合、太ももの血管が出るまで、徹底的に追い込みます。

それが、バイクパートで粘りを発揮できた一因になったかなと思います。

 

また、半年前まではメタボ気味でしたが、スクワットを日々取り入れることで、体脂肪もみるみる減っていきました。

大腿部は人体で最も大きな筋肉のため、そこを鍛えることで代謝が上がったのでしょう。

 

以上のとおり、アイアンマンの距離を一度もこなしてなくても、アイアンマンは完走できます。

 

もちろん長距離をこなす練習も必要かと思いますが、下半身の筋肉をつける、心肺機能を鍛えることは、アイアンマンの距離をこなすのに不可欠かつ、近道である要素だと思います。

 

 

 

すき家に新提案

私はすき家さんに高校の頃から週一ペースで通っており、特にネギ玉丼が大好きです。

しかしながら、ネギ玉丼に対して、長年不満に思っていたことがありました。

 

それは、卵を割る時に、手が汚れてしまうことです。

 

私は不器用なので、いつも卵を割るのに失敗します。

そして、手と机を汚し、たくさんのナプキンを使ってしまいます。

 

この卵を割るという動作が面倒で、ネギ玉丼を日によってはパスすることさえありました。

 

この長年の不満を解消するため、勇気を出してすき家さんに以下のような問い合わせをしました。

 

前略

ネギ玉丼が好きだ。でも、卵で毎度手が汚れ、ナプキンが消費される。そして、テンションも少し消費される。

人助けだと思い、なんとか、ネギ玉丼に卵割り機を導入してくれないか。もしくは、わった状態で提供してくれないか。

後略

 

 

すき家からは、2日音沙汰がなかったため、一消費者の戯言として流されたものだと思い、私も半分忘れていました。

 

ところが3日目、なんとすき家から返答が来ているではいるではありませんか。

 

それも、非常にご丁寧に、前向きに検討させていただきますとのこと。

 

とても、嬉しくなりました。

採用していただける可能性はとても低いかとは思いますが、卵で手を汚さずにネギ玉丼を食べる日を心待ちにしたいと思います。

 

今どういう選択するかで人生は変わっていく

ネガティブな要素をあげるとしたら、キリがありません。

ライフシフトで語られているように、(以下参照)

https://www.amazon.co.jp/dp/B01LYGI45Q/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

2050年には日本に100万人が100歳を突破するということから、60歳定年はとうに過去の話になるでしょう。

現に私の父も65を過ぎても引退せず現役で働いています。

自分もその姿を見ると、働くことにたいして、終わりが見えず絶望する時があります。

 

仮に80まで働くとしたらあと50年。

当然、いまの会社がずっと存続するとは限りません。

会社に安住し、自己のスキル高めることを怠ればどうなるか。

 

本の中で、不快で残酷で長いのが人生という言葉が出てきます。

休む間も無く働きつつけ、退屈な日々過ごし、エネルギー消費し、機会を活かせず、老いと後悔の老後が待つ。

 

いま、どういう人生を送るか、自分で選ばないと、老いていざ身体が動かなくなった時、こう思うことでしょう。

 

そうならないよう、自己のスキル磨き、どこでも食っていける力を身に付けたいと思います。

 

 

その他、本の中で特に印象的だったフレーズを抜粋させていただきます。

 

-人生のマルチステージ化が進む。教育、仕事、引退でなくなる。問題は人が生涯で何度も移行を遂げるための能力とスキルを持っていないこと。人生長くなれば余暇は新しいステージに向けて自分を再創造するための投資の時間にもなる


-エイジとステージがイコールでなくなる。学生もいう情報だけでは年齢推測できなくなる。いまの社会はエイジとステージが一致することを前提にしている部分多い

 

-生涯通じて高度な柔軟性を維持するようになる


-80歳になった自分が自分をどう見るか。あなたが下そうとしてる決断は未来の自分の厳しい評価に耐えられるか

 

-みんなと同じ行動を取るだけでうまくいく時代終わった

 

-平均寿命が延びても人生自体が素晴らしくなければ朗報とは言えない

 

不条理について考えること

私はこれまで、アジアをはじめ15カ国程度、仕事やバックパッカーで訪れたことがあります。

その中で、貧困や不条理をまざまざと感じさせる光景がたくさん出会いました。

 

例えば、

タイの大通りで、欧米人に対して耳の聞こえない14-15歳の少女が身振り手振りで身体を売ろうとしている光景

 

カンボジア戦争博物館のすぐそばで、大勢の物乞いの少年たちが観光客にフェンス越しに手を差し伸べ小銭を求める光景

 

インドネシアの首都で、売春婦たちが虚ろな目で日本人や韓国人を眺めている光景

 

などです。

これらの光景は非常に印象的で、年月たった今でもふと思い返します。

こういう人たちは、絶望の中を生きているのかもしれません。

未来に対してなんら希望を見出せていないのかもしれません。

一日の、食べる分のお金を稼ぐことだけを、人生だとしています。

そういう人には、なかなか未来は見えません。

生い立ちの違いでここまで差が出ます。

簡単に自分の力で人生ひっくり返せません。

現代でも、なかなかそういう人たちを全て救済する社会にはなっていません。

自分にできることは何か、少しずつ考え行動していきたいです。

 

もはや自分の力で人生を変えることのできない方々を救える、社会としては、そういう方々を助けら人たちにお金を支払うようになると、よいお金の循環になり、より多くの人が救われるかと思います。